パーフェクト・ブルー

ブラックホール

どいつもこいつもクソセックスがしたいだけ


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という仲村さんの言葉。仲村さんの怒り、苦しみ、悔しさがたくさん詰まってると思う。

仲村さんは最後まで仲村さんだったし、自分を貫いた。私はそれを読んで、あんな仲村さんのようになりたいと思ったし、仲村さんとは全然違う結末を迎えた春日のことは正直好きになれない。

けれど大多数が、あの春日のようになっていくのも知っている。数はいつだって私を殺しにくる。私はそこで、生きるか死ぬかみたいな話を持ち出す。全く持って論理的ではない。哲学者になれるものならなりたい。

私のことを、ただ、心配してくれる人がいる。それは何故だろう。私が泣いたからか、取り乱したからか。同情心かどうかは知らないが、情を私に持ってくれたのか。そういう情の深い人間なのか。わからない。

心配って、自分へのメリットを考えていない、とても優しい感情なのかもしれない。

誰かのことを気に掛けるということ、

 

こんなこと一年前のゴールデンウィークにもブログに書いたことを思い出す。とっくに消したブログ。

あの時の私も、優しさを、誰かを心配すること、気に掛けることと定義していた。

ちゃんとご飯を食べたかとか、心から笑っているだろうかとか。そんなことを思うのが愛だとか書いた気がする。

だから 私は誰にも優しくされていないという結論だった。誰からも愛されていないという。

 

今はどうなんだろう。愛情ってなんだろう。優しさってなんだろう。優しさは愛情に直結しているのかな。

 

自分中心ではなく、自分なんて出さないのが優しさであり、愛情なのではないかと私は思う。

自分を前に出して、自分を愛してくれ、自分に優しくしてくれ、自分に自分に自分にって言うのが先行してる優しさ・愛情を優しさとも愛情とも私は思えない。

相手に対して、自分の要求を押し付けずにいられない人は、情がないと思う。自分優先でしかないように思う。エゴイストだ。

みんな、人ってそんなもんなのかな、とも思ったけど、単に心配してくれた人もいたし、やっぱ違うよね。情の深い人間はいる、私はそういう人間が好きだ。私も人に対して、そうでありたいとも思う。

自分を自分を、を、介入させず、誰かを、思うこと。それが優しさであり愛情であると私はいつだって信じている。