パーフェクト・ブルー

ブラックホール

恋は罪悪ですよ

 

※以下は、私の価値観であり、私の中の定義である。

よって、これを読む人に、こう(以下のようなもの)であれ、と強制をさせたり、他者を批判をするものではない。

すべて「自己批判」に基づいているため、ご了承ください。

 

 

 

 

惜しみなく奪うもの。これが恋だ。

嫉妬。独占欲。支配欲。征服欲。甘え。自分のための行為。「恋」だなんてお綺麗な名前をつけて正当化させてるだけで、どれもとても醜い感情である。

自分のこころを満たすもの。自分の幸せを優先させるもの。

相手の事情や人間性よりも、まずは自分、自分、自分。なんて自己中心的なものなのか。

自分も相手も苦しめる。じぶんがくるしいからってなけばいいってもんじゃねーーーーーよ

 

「先生」の言う通り、罪悪と言えるだろう。
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惜しみなく与うもの。これが愛だ。

無償のもの。ゆえに見返りを求めないもの。極端に言えば自己犠牲も含む。

自分よりも、相手。極端に言えば「自分」なんて、消すもの。相手を、満たすもの。

相手の求めるものが、たとえ自分にとってなによりも苦しいものであったとしても、実行する。例、「お別れ」だったら、お別れする。どんなことも、なにがあっても、味方でいること。

自分を、押し付けてはならない。自分の感情は、我慢する。

相手のすべてを受け入れ、尊重をし、許すもの。

信じるもの。

 

 

愛は、相手を、甘やかすとかと、だめにするとか、そういうものではない。

相手を、幸せにするもの。

相手の幸せが、自分の幸せとイコールになるもの。

 

幸せをもたらすものは、恋ではなく、愛だ。

 

しかし私は、精神・身体共に、今、余裕が持てる状態ではない。自分のことでいっぱいいっぱいで、余裕がない。

自己犠牲的どころか、自己中心的だ。

他者を、自分にとってかけがえのない人をも、尊重することすらできない。

はっきり言って最低。

 

無自覚は罪であり悪だ。本当にそう思う。

愛をもてないわたしなんかしねばいいのに

 

「愛は見返りを求めないものですよ」

 

私が二次元の中で、一番好きなキャラクター(ヒロイン)の台詞だ。

彼女はただひたすら、主人公に対して、

「無償の愛」を

惜しむことなく与えた。 

 

時には自分の命を省みず、自分を危険にさらし、それでも

主人公のために流血させながら、笑顔で彼女は凛と佇んでいた。

主人公を信じて信じて、信じ抜いた。

「信じる者の幸福」を彼女は知っていた。

その意味を深く理解し、自ら体現していた。

 

どんな危険な状況下でも彼女は常に笑顔でいた。

 

 

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私の最も理想とする「愛」が詰まっているのが、彼女だった。

 

最強だなあ

弱点じゃなくて個性だから

 

人のこともそう思える寛容さが必要なのかな

冷静に客観視できる心は絶対要るね、

「混乱」しちゃうとだめだから

生活に支障をきたすから

「生活」しなきゃだから

 

なんで?なんで生活しなきゃなの?

私には生活できる才能がない

生きるのに向いてないのかも

もしもこの星が一日で最期迎えるとしても 面白い話して忘れさせてほしい

 

LINEのグループよりも、やっぱりブログが一番、好きだな。

人と関わらないから、気を遣わずに、自由に言葉を紡げるから。

 

女々しいとか男らしいとか、本当、なんでこんな言葉があるんだろうね。性別なんかなければよかったのに。

 

自分の戸籍上、そして身体が女であること

ゆえに、人から女であると認識されること

そのように扱われること

 

これらは、私にとっては、負荷。なぜか死にたくなるから。

だからといって、男に性転換するわけにもいかない。

男になりたいわけではないから。

 

 

 

性器はすべて取り除いてしまいたい。

 

 

 

目を見られると心まで見られるようで 知らない間に前髪がね 長くなっていった

 

目を見れなかった。

一切見れないでいたら、指摘された。あんまりにも見れなかったものだったから言われてもおかしくはないよなとは感じた。

今日は目が見れない日だとこたえた。

実際情緒不安定だった。

ずっと隠れて泣いていた。

目を見たらそれすら見抜かれるように思えた。

 

目見て話なんかしたら、それだけで、わたしの全てを見抜かれる気がした。

たぶん目なんか見なくても見ぬかれてるけどさ。もっともっと知られてしまう。視覚情報は怖いね。声や文字のみとはわけがちがう

恥ずかしいね。

 

 
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悪魔は、母の顔をしていた。

 

頭が痛くてしんどい。定期的にこんなふうに頭が痛くてしんどいってなにかしらのSNSでつぶやいている気がする、な、とおもった

定期的に身体がしんどくなるのは、多分疲れがたまりにたまって自分の限界をこえてますよというサインなのではとおもう

毎日出かけるのは、引きこもり生活に慣れ親しんでいるこの身体にはかなり負荷だろう

あと、頭が痛くてしんどいならSNSやるなよという話だが、頭が痛くてしんどい時は、心も弱ってきてしまう。体もなんか痛いのだが、そういう痛みは心の痛みにもつながっていく

そうするとSNSやブログを、やらずにいられなくなるのだ。心が弱まると私はいっそう孤独感や絶望感に苛まれる。希死念慮が強くなり、死ぬ方法について考えをめぐらせることがある。ただそんな実行力や気力を奪われているのもあるのと、明日はちゃんと動かなければ出かけなければならないというプレッシャーのため、結局なんにもやれずただ寝ることにだけつとめているようなきがする

ただ目をあけているだけでもしんどいし、なにもしなくても頭痛が押し寄せてきて苦しめられるから、薬にたよりがちになってしまう節はある

 

たかが一時間や二時間ですぐに効くわけないことはわかってはいるのだが、不安感が強くなっている今の私はとにかく心配でいっぱいだ

「もしも明日もこのままだったとしたらどうしよう、今日のバイトを明日にまわしたのに、学校もあるのに、その小レポートもあるし、明後日はフランス語もあるからその予習と、テストもあるからその勉強、暗記もしなければ、暗記するために勉強もしなければ、そしてフランス語を終えたらまたバイトへ行き、バイト後はまた学校へ戻り講義をふたつ、21時まで受けなければならないのに、両方、期末試験がないかわりに単位取得のためにはレポートを求められているため、レポート材料を図書館へ行って集めなければ、そしてそれを読み、なにについて書くかを考えなければ、国際経済のことなんかなんにも興味も知識もなくよくわかってない私は、レポート書くより前にまずは色々本を読んで学ばねばならないし、学祭ももうすぐにあるからそれについても準備が要されるのだろうか、色々あるのにこのままだったらどうしよう」ああでもなんだか、色々、疲れる

疲れるな、疲れたな、不安と疲労でいっぱいである

 

この程度のことは、たいていの人間がのり越えるものだし、私なんてむしろ楽な部類だ。「のりこえる」というほどのことでもないのだろう。これは楽な道を選んでの結果なのだから。四大にいたころに比べれば本当にめっちゃくっそ楽だし、今はずいぶんのんびりと自分のペースでできているはずなんだ、だからこの程度のことで不安やら疲れるなんて言うのは贅沢というか・・・

ああでも感じ方はひとそれぞれか、一般的には「この程度」であると私が解釈しても、今の生活は、やはり私にとってはあっさり限界値をこえてしまう代物なのである・・・

 

楽になりたい 

 

自殺しようとはしないが、なにか楽になれる方法はないかと、おもう

そうしてまた、薬に頼ってしまうのは私の悪癖だろう

のまずにはいられないのである

かといって頭痛薬をいくつものむのはなんとなく躊躇してしまうが

今日をきちんと休められたら、明日はなんとかバイトも講義も予習もすべてなんとかやれるはずだ

明日は頭痛も軽減されることだろう

本当はご飯を食べたりしたほうがよいのだろうが、そのほうがもっと治りはよくなるだろうが、実家なのに誰も作ってくれる人はいないし、まず自分自身も、ベッドに倒れるように横たわることしかできない、わりとしんどい

食欲もないため、誰もご飯を提供してくれていない現状をそれほど不都合だとは思わないが、弱っている心には、ご飯を作ってもらえるとか、そういうわかりやすい優しさが欲しいとはおもってしまう

 

母は、

私の体調、食事、精神状態などは毛ほども興味がない

たまに気にすることといえば、学校の講義を受けているか、落第しないかどうか、などである

母は、事勉強に関しては異常に固執する特性を持った人間であることは私もよくわかっているため、どうでもよいが

かといって学校をやめたとしても、母はいつも通り、どーでもいいというような態度を示すだろう

私は小学校の時点ですでに諦められていたようにおもう

母は学歴や勉強がどれだけできるかや、資格などに本当に常に執心する人間だが

娘にそれをもとめるには、あまりに娘が器量不足であったことを、早い段階で理解させるくらいに私はすぐに、落ちぶれた

諦められ楽になりもっと落ちぶれた

今の私は最底辺、最下層だ

母からの幼い頃からの刷り込みが、今でもわたしに根付いている

それの最たるものは、一つは、私が頭が悪いということ、もう一つは、私の容姿が醜いということ

母からのその昔からの言葉のなげかけによる刷り込みにより、頭いいねとか可愛いねと人に言われても、私の心は謙遜ではなく本当にその言葉を受け入れ難くなってしまっている

まあ、本当にわたしは頭も良くないし可愛くもないから、しょうがないのだが

私は不完全すぎる人間だ

私は母にずっとけなされつづけてきた。母によって、私は馬鹿な上に醜い人間なのだということをずっといわれつづけてきた

だから私は、いつまでたっても自分の頭の悪さや、容姿に関してのコンプレックスでときどき死にたくなる

コンプレックスの塊だ

10代にあがる前のころから、母に否定され続け、よその子と比べては私の出来の悪さに失望している発言に、そのコンプレックスは形成されていった

私は馬鹿な上に醜い

母が、欲しかったのは賢く可愛い子どもだったのだろう

私のような子は、いないほうが母にとっては楽だったろう

家事なんてべつにやらない母ではあったが、やはり私がいることにより、不自由を感じることもあったのだろう

なんで生きているのとかいつ死ぬのとなんどもなんども問われてきたし、

母にとって私は生きていては邪魔な存在だったのだろう

今はそういう関わり自体も減ってきたのは、私が免許をとり自分で学校などに出かけられるようになって、そういう部分で自立できたためだろう。そうしてお互いにまあ楽にもなったのだろうと思う

 

いつ死ぬの?とは本当によく聞かれた

時には笑顔で聞かれた

私は、「いつ死ぬの?」が「はやく死ねよ!」に聞こえた。なんかそんな感じのことも言われた気がするし

小中高生の私にそんなことを聞いて、どんな返答を期待していたのだろう

明日死ぬよと言えば、母はよろこんだのだろうか、どんな顔をしたのだろう

私は母に愛されなかった

それだけのことが、私にいまだ重くのしかかる

もうだいぶ割りきれているはずなのだが、こうやって考え込むことがある

どうしてわたしの母はこの人でなければならなかったのだろう

どうしてこの人の子供はわたしのような不完全な人間でなければからなかったのだろう

この馬鹿親に、馬鹿親の求める完璧な子供を与えてやれよ、神様よ

そうすれば家族全員、幸せにことが運んだかもしれないのに

私のような出来損ないのせいで、家庭環境はますますおかしくなっていっているのも感じていた

結局はわたし中心だったのだ

まあ、兄弟がいればなあ

比べられてもいいから、出来のいい子がもう一人いたらなあ

そしたら母も父も祖母も、幸せだっただろう

 

 

頭が良くて、可愛くて、英語ができて、健全健康な子が欲しかった母

料理をたまにでもいいから作ってくれて優しい言葉をかけてくれる穏やかな母が欲しかった私

だれしも望んだ通りになることはない

私の母子関係が、それをものがたっているようにおもう

100パーセントの愛情は ウソなんかないよ

 

自由ってなんだろう。私はちっとも自由な人間ではない、むしろ不自由な人間と言えるだろう。

色んな自分や他人の決めたルール・しがらみに縛られて、身動きが取れなくなることがある。私は「単独者」にはなれない。「恋と革命」もきっと起こせない。だったら、私はなんのために生まれてきてなんのために生きているんだろう。

涙が出るくらい、本物になりたい。

自分の信じる自分自身の価値観を、人から傷つけられないように大事にして、貫きたい。影響なんか、受けたフリをしても、絶対に本当の所では影響なんか受けない。人は人に影響を与えることなんて出来ない。私は私だけの真実を裏切りたくない、他の人には決してわかることは出来ないものなのだから、私だけは、守ってあげたい

 
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褒められたくて夢中で 背伸びしてたけど

 

メールの返信は来なかった。

寂しかったし、本当はなにか言って欲しかった。

でも、そういう関わり方をすべきではないということも、相手が分かっていることを、私もわかっていた。わからないわけがない。

その時、その瞬間だけ、メールを返したりして優しくすることはできる。

でも、その優しさが本当に私に必要なものなのかとか、それをすることで私が受ける影響についてとか、ちゃんと全部含めて、考えた上での、

私にとって一番ためになる、ベストな関わり方をしてくれているはず。あんな頭の良い人が、それを出来ないわけがない。私がなりたいのは、そういう人だ。

その場だけ良い顔して、優しい言葉を掛けるだけでは、ただの自己満足に終わることもあるだろう。そんな相手のことを真に考えることのできていない関わり方はすべきではないと、私も思う。

私も、相手にとって最もためになるような、関わり方をしたい。ためと言っても、打算的なことではなくて、うまく言えないんだけど、その人が結果的に良い方向へ行くようにすることが、その場のみの優しさを与えることよりも、相手のことを本気で思うってこと、思いやりを持つということ、本当の優しさであると私は思う。

私が最も目標としているその人のやり方を、私が否定するわけがない。私も人に対して、そんな関わり方の出来る社会的に成熟した人間になりたい。私がこんなの考える日が来るとは、ちゃんちゃらおかしいな。

ただ認めてもらえるように頑張る。愛情欲求みたいなことは、絶対にしない。

 

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「好きなんだ」って言えない自分はすごく嫌でも 「好きなんだ」って素直に思える自分は好き

 

JJの愛のダイビングリピってまう。JJの武道館公演、はやく円盤でみたいなあ。終わったばっかだけど

最近さゆれな熱がまたあがってきた、さゆの毎週のブログ更新のおかげで、この二人がまたしゃべってるとこ見れるかも??って思うとわくわくする

さゆだから、復帰しないかもやけど

それでも好き

このままブログ更新するだけで終わってしまっても、それでもさゆらしくて好き

さゆがさゆだから好き


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6期さいこう˙˚ପ♡ଓ ˚˙