悪魔は、母の顔をしていた。
頭が痛くてしんどい。定期的にこんなふうに頭が痛くてしんどいってなにかしらのSNSでつぶやいている気がする、な、とおもった
定期的に身体がしんどくなるのは、多分疲れがたまりにたまって自分の限界をこえてますよというサインなのではとおもう
毎日出かけるのは、引きこもり生活に慣れ親しんでいるこの身体にはかなり負荷だろう
あと、頭が痛くてしんどいならSNSやるなよという話だが、頭が痛くてしんどい時は、心も弱ってきてしまう。体もなんか痛いのだが、そういう痛みは心の痛みにもつながっていく
そうするとSNSやブログを、やらずにいられなくなるのだ。心が弱まると私はいっそう孤独感や絶望感に苛まれる。希死念慮が強くなり、死ぬ方法について考えをめぐらせることがある。ただそんな実行力や気力を奪われているのもあるのと、明日はちゃんと動かなければ出かけなければならないというプレッシャーのため、結局なんにもやれずただ寝ることにだけつとめているようなきがする
ただ目をあけているだけでもしんどいし、なにもしなくても頭痛が押し寄せてきて苦しめられるから、薬にたよりがちになってしまう節はある
たかが一時間や二時間ですぐに効くわけないことはわかってはいるのだが、不安感が強くなっている今の私はとにかく心配でいっぱいだ
「もしも明日もこのままだったとしたらどうしよう、今日のバイトを明日にまわしたのに、学校もあるのに、その小レポートもあるし、明後日はフランス語もあるからその予習と、テストもあるからその勉強、暗記もしなければ、暗記するために勉強もしなければ、そしてフランス語を終えたらまたバイトへ行き、バイト後はまた学校へ戻り講義をふたつ、21時まで受けなければならないのに、両方、期末試験がないかわりに単位取得のためにはレポートを求められているため、レポート材料を図書館へ行って集めなければ、そしてそれを読み、なにについて書くかを考えなければ、国際経済のことなんかなんにも興味も知識もなくよくわかってない私は、レポート書くより前にまずは色々本を読んで学ばねばならないし、学祭ももうすぐにあるからそれについても準備が要されるのだろうか、色々あるのにこのままだったらどうしよう」ああでもなんだか、色々、疲れる
疲れるな、疲れたな、不安と疲労でいっぱいである
この程度のことは、たいていの人間がのり越えるものだし、私なんてむしろ楽な部類だ。「のりこえる」というほどのことでもないのだろう。これは楽な道を選んでの結果なのだから。四大にいたころに比べれば本当にめっちゃくっそ楽だし、今はずいぶんのんびりと自分のペースでできているはずなんだ、だからこの程度のことで不安やら疲れるなんて言うのは贅沢というか・・・
ああでも感じ方はひとそれぞれか、一般的には「この程度」であると私が解釈しても、今の生活は、やはり私にとってはあっさり限界値をこえてしまう代物なのである・・・
楽になりたい
自殺しようとはしないが、なにか楽になれる方法はないかと、おもう
そうしてまた、薬に頼ってしまうのは私の悪癖だろう
のまずにはいられないのである
かといって頭痛薬をいくつものむのはなんとなく躊躇してしまうが
今日をきちんと休められたら、明日はなんとかバイトも講義も予習もすべてなんとかやれるはずだ
明日は頭痛も軽減されることだろう
本当はご飯を食べたりしたほうがよいのだろうが、そのほうがもっと治りはよくなるだろうが、実家なのに誰も作ってくれる人はいないし、まず自分自身も、ベッドに倒れるように横たわることしかできない、わりとしんどい
食欲もないため、誰もご飯を提供してくれていない現状をそれほど不都合だとは思わないが、弱っている心には、ご飯を作ってもらえるとか、そういうわかりやすい優しさが欲しいとはおもってしまう
母は、
私の体調、食事、精神状態などは毛ほども興味がない
たまに気にすることといえば、学校の講義を受けているか、落第しないかどうか、などである
母は、事勉強に関しては異常に固執する特性を持った人間であることは私もよくわかっているため、どうでもよいが
かといって学校をやめたとしても、母はいつも通り、どーでもいいというような態度を示すだろう
私は小学校の時点ですでに諦められていたようにおもう
母は学歴や勉強がどれだけできるかや、資格などに本当に常に執心する人間だが
娘にそれをもとめるには、あまりに娘が器量不足であったことを、早い段階で理解させるくらいに私はすぐに、落ちぶれた
諦められ楽になりもっと落ちぶれた
今の私は最底辺、最下層だ
母からの幼い頃からの刷り込みが、今でもわたしに根付いている
それの最たるものは、一つは、私が頭が悪いということ、もう一つは、私の容姿が醜いということ
母からのその昔からの言葉のなげかけによる刷り込みにより、頭いいねとか可愛いねと人に言われても、私の心は謙遜ではなく本当にその言葉を受け入れ難くなってしまっている
まあ、本当にわたしは頭も良くないし可愛くもないから、しょうがないのだが
私は不完全すぎる人間だ
私は母にずっとけなされつづけてきた。母によって、私は馬鹿な上に醜い人間なのだということをずっといわれつづけてきた
だから私は、いつまでたっても自分の頭の悪さや、容姿に関してのコンプレックスでときどき死にたくなる
コンプレックスの塊だ
10代にあがる前のころから、母に否定され続け、よその子と比べては私の出来の悪さに失望している発言に、そのコンプレックスは形成されていった
私は馬鹿な上に醜い
母が、欲しかったのは賢く可愛い子どもだったのだろう
私のような子は、いないほうが母にとっては楽だったろう
家事なんてべつにやらない母ではあったが、やはり私がいることにより、不自由を感じることもあったのだろう
なんで生きているのとかいつ死ぬのとなんどもなんども問われてきたし、
母にとって私は生きていては邪魔な存在だったのだろう
今はそういう関わり自体も減ってきたのは、私が免許をとり自分で学校などに出かけられるようになって、そういう部分で自立できたためだろう。そうしてお互いにまあ楽にもなったのだろうと思う
いつ死ぬの?とは本当によく聞かれた
時には笑顔で聞かれた
私は、「いつ死ぬの?」が「はやく死ねよ!」に聞こえた。なんかそんな感じのことも言われた気がするし
小中高生の私にそんなことを聞いて、どんな返答を期待していたのだろう
明日死ぬよと言えば、母はよろこんだのだろうか、どんな顔をしたのだろう
私は母に愛されなかった
それだけのことが、私にいまだ重くのしかかる
もうだいぶ割りきれているはずなのだが、こうやって考え込むことがある
どうしてわたしの母はこの人でなければならなかったのだろう
どうしてこの人の子供はわたしのような不完全な人間でなければからなかったのだろう
この馬鹿親に、馬鹿親の求める完璧な子供を与えてやれよ、神様よ
そうすれば家族全員、幸せにことが運んだかもしれないのに
私のような出来損ないのせいで、家庭環境はますますおかしくなっていっているのも感じていた
結局はわたし中心だったのだ
まあ、兄弟がいればなあ
比べられてもいいから、出来のいい子がもう一人いたらなあ
そしたら母も父も祖母も、幸せだっただろう
頭が良くて、可愛くて、英語ができて、健全健康な子が欲しかった母
料理をたまにでもいいから作ってくれて優しい言葉をかけてくれる穏やかな母が欲しかった私
だれしも望んだ通りになることはない
私の母子関係が、それをものがたっているようにおもう