パーフェクト・ブルー

ブラックホール

道に迷ったと思ってたけど 僕はまだ進んですらいなかったみたいだ

 

Uruさんの曲が流れると泣いてしまう。劇中。

 

公開中の「ファーストラヴ」があまりにも(自分にとっての)トラウマ大量詰め合わせセットな映画だったから、どんなスティーブン・キングのホラー映画よりも恐くてなってヒッって声をあげて震えて泣いてしまった。ああ、救われたいなと思いました。救われないなあとも、思いました。

多分きっとこの映画に共感できるところが少なくてこんな思いをしなくても生きてけてる人も世の中にはいて。そういう人たちにとっては、この映画はすこし過激な「フィクション」でしかなくて。

けれど私にとっては、恐ろしい程に現実に近い内容。「ノンフィクション」であり「ドキュメンタリー」タリ得るもの。いくつもの場面で、それぞれ異なる意味で震えて泣いてしまうものでした。

本当にたくさん共感できたけど、特に印象深かったところを箇条書きしていく。

幼い頃にお母さんに言われた言葉をずっと覚えてるところ。お母さんに「気持ち悪い」と言われたから、お母さんに手首の傷を絶対に見られたくなかった。お母さんに「嘘つき」と言われたから、自分が嘘つきなんだと、自分が嘘をついていると言うことにしてしまったところ。

本当の気持ちが言えなくて自分の身に起こったことを言うのが怖くて自分の気持ちすら嘘をついて誤魔化してしまうところ。(初恋だとか言って)

守ってもらうべき時に大人に守って貰えず自分が悪いと思い込まされて生きてきたこと。

 

もう大丈夫だよと言ってあげたくなりました。

それは私自身にも向けた言葉ですね。

 

上にあげたのは芳根京子さんの役についての場面ばかりですが、中村倫也さんの役の闇みたいなものも少しだけ垣間見えて、そちらにも共感してしまいました。お母さんに愛されなかったからそっちへ逃げてしまっている。

あと、ここには書きたくないような北川景子の父親へのトラウマも然り、たくさんの自分が散りばめられていました。親への恐怖。嫌悪。

金銭面で支援を受け助けられてきたことについて私は感謝しなければならないのだけれど、と思うから感謝を示そうと思って生きているのだけれど、男の人への嫌悪や憎悪、恐怖を植え付けた父親を私はその点において許すことは出来ないでしょう   

本当に残念だけれど、私の男の巨悪の象徴はどうしても父です    

「男」という「性」そのものが憎悪、嫌悪の対象になりました

 

女性への性犯罪、性虐、搾取もずっと許せないでしょう    しかし自分が男に生まれていたらそこに頓着しない人間にもしかしたらなっていたかもしれないので、私はたとえ、男から性的搾取、利用され得る可能性のある性であるという意味で社会的に弱者であるとしても、

女に生まれて良かったです。

 

私の場合色んなものが混在していて、多くて、だからこんなに感情移入できたのでしょうか。それとも私のように感じた人はたくさんいるのか…みんなこんなトラウマをたくさん抱えているのかな…と、映画館にいる人達の鼻をすする音を聞き、どういう気持ちで他の人は泣いているのか、と、不思議な気持ちになりました。

 

映画って人と見に行くのって見たあと感想とか言い合えるから人を見に行くのが好きって思ってたけど、泣いてしまって感情の断片はボロボロと出てはくるけど上手く言語化は出来ないからお互い映画見てどう思ったかを共有したかったけどあまりできなかった(笑)でもこういう映画を一緒に見れる友達がいて、それについてボロボロと言い合えて良かったと思う。ありがとう


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僕にだってきっと あなたを救える

 

 

バレンタインにチョコをもらいました。

手作りのティラミスでした。

作りすぎて余ったから。と言って、おうちまで届けてくれました。片道30分ほどかけて、車に乗って。

久々すぎて緊張してしまって、何を話したらいいか全然分からなくて、ありがとうとかなんだとか言ってすぐ別れてしまいました。

上手く話せなくなってしまい、変なことしてしまうと自己嫌悪に襲われる。から、これでいいの。だ。

 

ピンク色のタッパー。違和感。

 

すると、タッパーはあげるために買ったから返さなくていいとメッセージが届く。

洗い終えたタッパーが台所に乾かされている。それを見る度、私のことをなんとなく考えて買ってくれたのかな?だからピンク?と、やさしい気持ちになる。

 

愛のある行動はやさしい気持ちになる。

ありがとう。

 

でも

 

もう会わないかもしれない。

それでも感謝

やさしいひと

愛のあるひと

さよなら。

 


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何千回も死んだら 何千人に与えられるかな 一度死ねば 魂は星になるから 死ぬたびに 夜空がいつか溢れるように 夜空なんかじゃ足りなくて 一緒に生きた人たちの空と混じりあえますように

 

根本的に人間不信なんだよね。

だから、何回死んでも復活しては、そこに価値を見出だして生きていくしかない。

ファーストラヴ、登場人物が自分のトラウマと向き合う話。私は自分のトラウマがたくさん想起させられて、恐くて苦しくて泣いてしまった。

いつか私は人を救える人間になれますか。

人を心から信じられる人間になれますか。


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誰もいないみたいな今だけがきっと 平和なんだけどそうはいかない

 

最近ずっと寝っぱなしで早朝4時とか5時とかに起きる度に、午後だったらどうしようとか怯えながら時計を確認する。(特にシフトの日は)

たいてい朝だから大丈夫なんだけど、時間感覚が…時間が…狂ってきてる。低気圧で頭痛すごかったり寝過ぎたり、色々自分でもどうしようと思いながら 病院にも行けてない。地元だったら車で病院も行けたから行けたかも。電車に乗るのが怖い。緊急事態宣言のこともあるけど、自分の場合は人に会うのも怖いし…。

シフト行くのも怖い。一年前?二年前?2019~2020まではすごく好きで大好きだったバイト先も…自分の居場所みたいに思えてたのに…人と関わることが怖いし特にバイト先の人と関わることが一番今は怖い。どれだけ仲良くなったと思っても、深く関わってたと思っても色んな形で人が離れていく。異性ならまだ凹まないんだけど…同性で一番仲良くして貰ってたと思ってた人と昨年の終わりの方から上手くいかなくなって…思い出す度に号泣したり心が苦しくていっそ辞めてしまいたくなりながら年を越した。

金銭的にも突発で辞めるわけには…と踏み切れずにいる。また前みたいに仲良くできたらいいのにとかも思ってしまう。失恋したかのような落ち込みっぷりである…正直めっちゃ消えたい。それでもそのうちいつか良くなる、関係性回復は無理でも私自身いつかまた立ち直れる、なんとかやってけると励ましながらシフトへ向かう日々。コロナでシフトめっちゃ減ったけど逆によかった、人と関わり減らしたかったから…。お客さんと関わるのはむしろ好き。感染症はあれだけど、接客自体は好き。

今後どうしていこうかとかも自分の中で結論出ない。やりたいこともう一度洗い直してみようかな。希望持って生きてたいよ常に。

交遊関係がバイト先ばっかりだからなのもいけないのかも。一つの狭いコミュニティ。部活なんか?ってくらい和気あいあいとしてるから、逆にしんどくなったときの反動もでかい。今年は実家にも帰れなかったし、そもそも感染症のせいで会える友達もいない。行かざるを得ないかつて大好きだったバイト先へ行くだけである。

変えないとな…何かしらを。他のことやりたいし他のコミュニティや他の収入源が欲しい




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頭を撫でて ただ「いい子だ」って言って

 

 

ただのLINEの文章でも

わたしは泣いてた

 

心に傷を負っているから?

 

何気ないやさしい言葉に泣いている辺り

私だなあと言う感じ…(相手は優しさのつもりではなく思ったことを言っただけかも。でもそれでいい)

 

やさしいひと

自然体の人

あなたのことが好きです

恋愛感情かんけいなく

あなたの存在、性格、言葉、が、好きです

ありがとう

映画より面白いこと一個も言えないくせに 邪魔しないでよ



https://sp.uta-net.com/song/271212/

映画はいいよね EIGA

道重さゆみちゃんはいいよね さゆ

大森靖子ちゃんの作る曲はいいよね  曲

 

ねむい  けど 映画を観たい  

もののけ姫で塗り替えちゃお

安易に容易にマジメに上書きしちゃお

EIGAいっしょにみてくれる存在たちに感謝。

 

とっても楽しかった

7月のこと全部忘れられるくらい楽しかった

なかいいひとたちと ごはんをたべて 心の底から「しあわせ!」って言えたの。

いつぶりかな?って思えたし しあわせ感じられた

 

ジブリってさいこうだし

自転車もにけつもさいこうだし

風が気持ちよくて みんながいて

夏の良さを感じられるしあわせ。

ふっとサークルのだいすきな後輩の子とかと遊んだの思い出したり

わたしねあの時 のあの時間 をいまだにずっと大事に愛してるから

またそんな きらきらな思い出を追加できて

きらきらした感情ぜんぶ抱えて

これからもわたしは生きてけるよ

忘れられない夏、ひとつひとつ

宝物だよ

大好きだよ


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死ぬ事が人生において唯一の結果なのだから

 

わたしは神様ななれる、わたしの世界の

だからわたしはわたしをちゃんと幸せな状態にしてあげられるね

他人に委ねる必要 皆無だった

 

人生って物語みたいだから

感情移入し過ぎず、この物語の目的と着地点を考えるのよ

幸運はいつだって目の前

わたしの手のひらの中

握りしめているこの手を開けば、わたしは自由だ 

 

私の「命」はわたしの死によって生かされている。

価値なんてなくていいって思えた。

 

わたしを縛りつけていたのはわたし自身である。

わたし自身のこの思考や、思念のようなものからわたしはわたしを解放することができる。

なんて自由なのか

軽やかに生きていけるはず

自由も不自由も神様が与えるものだから

神様の正体がわかったのでしょ

 

まだつづく、とてもながい、幸福なこのおはなし

あいしてる。

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死んでもいい幸せなんて せいぜいコンマ1秒




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もうしんでもいい、とおもうしあわせを、なんども終わらせてきた。ものの数秒で。いっしゅんで。

 

大森靖子ちゃんの「新宿」が頭から離れない。

https://twitter.com/oomoriseiko/status/1249300523339010050?s=19

「あの愛にうずくまる才能がなかったから

私あなたがすき

誰でもいいの

あのまちを歩く才能がなかったから

私 新宿がすき

汚れてもいいの

私 新宿がすき 汚れてもいいの」

 

久しぶりにこのブログにやってきた。

1月との違いに泣いた。

あの時のわたしは、ただそこで感じられる幸せを、

掴んだり所有したり 独占したりすることなく、とてもとても大事にしていたのに。

何の暴力的な感情が入り込む余地なく、本当にひたすら、宝物でも眺めるように、大切に、していたのに。

そんな記事を書いたことすらも忘れて、感謝の気持ちも優しさも思いやりもきっと忘れて、わたしは迷子になっていたんだね。

あるべき感情をあるべきところに戻してあげたい。

誰よりもわたしのために。わたしの幸せのために。

恨んだりなんてしたくないよ。

 

もっと遡ると、ブログを始めたばかりの頃からは、ずいぶん色んなことが変わった。

生活環境も、仕事も、交友関係も。なにもかも。

どうして今のわたしがあるのか、考えてみた。

あの時苦しんだから。

あの時、たくさんまとわりついていたものを、むりやり捨ててきたから。

それのお陰で現在の生活があるのなら

苦しんだことすらも、とても、価値があると思う。

 

おかしいなこんな前向きそうな内容を書くつもりじゃなかったのに。

どうしようもないことばかりしてしまっているわたしの、どうしようもない内容にするつもりだったのに。

でも構成も何も無い、ただ思ったままにこうして書けるから、ブログはとても好きだし、その時々でわたしにとっての必要な役割を果たしていてくれていると感じる。

 

わたしはさびしい。

誰かに、必要とされていたい。

ほんとは、それだけ。

 

私が必要だって。

いちばん。

ゆいいつ。

だって。

 

いや、こんな言い方はなんでもいい。

ただわたしが誰かのかけがえのないものになれるのなら。なんだっていい。

わたしがいなくても成り立つ人間なんて…。そんなのってつらいじゃん。

わたしがいないと立っていられないって言ってほしい。わたしがいないと生きていけないと。

必要とされる人生でありたい。

 

わたしは自分の価値を誰かの中に見出すことで、

自分に価値を感じられるようになると、

勘違いしている。

人ではなく自分、自分が自分に価値を感じることが必要なのもわかってても、、、そうなっちゃってるンスよ

息しやすくなりたいンスよ…

 

このブログ読み返してたらいろいろ思い出したよ。

楽になりたいがわたしの口癖でしたね。

その時よりは、断然、楽になってきた気もするけれど。

 

 

たぶんわたし迷子になっていたいんです。

この迷路のなかから、まだ、でたくないんです。

たぶんですけど。じぶんでもよくわからないですけど。

りゆうも、ふめいですけど。

きっとそうなんだとおもいます。

まいごになって、さまよって、ふらふらして。

暗いドン底から。

はいあがらない。のか。はいあがれない、のか。

はいがりたくないのか。

わからないんです。

なにかに、反抗しているのだろうか?

なにに……?

わたしは、何故、じぶんをいためつける?

 

わたしが愛を注いで欲しくて仕方なかったのに、与えて貰えなかった、人たち全てへの怒り……?

わたしを大切に思ってくれているかもしれないけれど、わたしのほしいもの、いちばんそばに、ちかくにいてくれない事実に、憤って、いるのかな……?

 

ぼくは、かぞくがほしいです。家に帰ったら、まっていてくれる人。

 

血のつながりに、勝ちたい

 

死ぬまでに……

 

それまで、死にたいと思う瞬間、すべてに勝っていこうと、おもいました。

 

 

さようなら。愛のないひとたち。きさまたちは、わたしのこころの、はじっこにすら、もういません。

さようなら。愛に飢えたものども。きさまも、きさまも、わたしのことなんてなにもわかっちゃいなかったね。わたしは優しくないよ。

さようなら。この目に映るあなたたちのこと。これから先、どれだけ視界に入ろうとも、心の目であなたたちを見ないでいることは容易いのだから

 

さようなら

 



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君が生きているだけで世界平和だな

 

良いところもだめなところも含めて、私の世界が、目の前に広がる私の見ている今の景色がとても愛おしい。

プラスもマイナスもプラスマイナスゼロもそうじゃないのも、全部引っくるめて、愛おしいよ。

生きてる、それだけで、愛そのものなんだなと思う。

 


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「幸せになるため生まれ、そして誰かを幸せにするため生きていくんだ」


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"結果"ばかり考えてあせったりあわてたり

でも"結果"的に上手くいってたときって言うのはたいてい私の場合は

結果そのものに焦点を合わせてはいなかった

 

今、目の前にあることを少しずつクリアしていく

少しずつ積み重ねていく

少しずつでも今を頑張っていれば

"結果"はあとからついてくる

むしろ欲しかった結果よりも

もっと大切なものができてたりする。

 

コツは、楽しむこと。

結果とは過程に付随するおまけみたいなものだから、過程が良くなければ、良い結果はついてこない。

過程を良くする方法は、楽しむこと。

自分なりに楽しむこと。

他人ではなく、

自分が感じる快へ意識を向ける。

 

楽しむ方法も、人それぞれだろうけど…

私の場合は、なにも考えないこと。

 

Badな想像をしたり心配したり過剰に気にしていると、それが無意識に言動に表れ、そして現実(結果)になる。

だからBadなことを考えるくらいなら、なんにも考えない方がいいってわかった。

他人の目を気にする気持ちがまだ残っているから

やっぱり他人のことをあれこれ想像しちゃってるわけだけど

まあ…想像してもなんの得にもならないか。と思えばそうかも。

嫌われたくないって気持ちがわりかしあるけど

自由に生きているひとのほうがあんがいすかれるのも事実~

 

何故まーちゃんがファンの中で爆発的に人気がでたのかわかる。自分を抑圧せず自由奔放に生きる姿に、みんな惹かれてるんだ。自分にないものに。

反感もめっちゃ買うし自由すぎておいおいってなることファンでもあるから、人気とともにあんちも増えたけど。それでも憧れちゃう部分はあるよなあ、とおもう。

 

 

でも何もかんがえないって普通にむずいな?

何もかんがえないということを考えるのだ!

 





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